「湧き出るまで待つ」

 村上龍がインターネットで芥川賞の各当者なしということに対して、個人的な選考基準に言及していた。文学では書き手自身よりも書き手が伝えようとしているモノの方が大きく、深いというか、掴みかけてはいるがコントロールのできないモノ(表現しきれないモノ)がなければ駄目なのだと言う。
 どうにかして伝えたいそのコントロールのできないモノを手探りで言葉にすることが大事らしい。自然と内から湧き出る伝えたい情報は、善悪とかヒューマニズムを超えているので、読み手を自由にする。それを読み手は見たいのだとか。

 これをきいて、すぐにトルストイドストエフスキーの小説、ゴッホの絵などを想起した。さらに、アートに限らず様々な分野で言えるようだ(ほとんどの場合、善悪やヒューマニズムの範囲内だが)。実はBiologyの分野でも、「コントロールのできないモノをどうにかして伝えたい」という気概が基本にある気がする。というか、もしかするとそういう気概がある人が基礎研究をリードしている印象がある。