Chaos

自分のメモ用、思い出話。

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4年前、膝の手術直前の病室。そこへは通訳の男(外国人の手術は通訳がつくという決まり)とベッドに横たわる自分がいた。


そこへ、看護士の女たちがいそがしく行ったり来たりする。手術の準備で、その日の体調の記録や注射などをうけた。看護士の一人にお腹の大きな人がいた。通訳はそれをみて、すかさずお祝いの言葉をくれる。


すると、その看護士は浮かない顔でこういった。
「実は、心からは喜べないのよ。というのも、数年前に高校生だった息子を事故で失ったんだ。」


バスケットボールで活躍していた息子の思い出話を語り始める。通訳とおれは言葉を失い、部屋の雰囲気は一気に暗くなる。悲しい事情があって高齢で妊娠をしていたのだった。


妊婦の看護士が出たあとの病室はとてもまずい空気で、それを変えるため話をせずにはいられない雰囲気になる。通訳のお兄さんと、「通訳」について話した。知人に病院で通訳をしている人がいたので、その人との面識の有無からきりだした。


個人的に、いろんな機会で通訳をしてきたので、いままでの経験を共有したい気持ちになる。手術まえの高揚感がそうさせたのか。選んだ話題は一番苦しかったが光栄だった通訳の体験。それは、友人のSくんが亡くなったとき、日本から来られたご両親の通訳をさせてもらった時のこと。下のようなことを話した。



数日間食事もとれない、ご両親は、Sくんと関わりのあった人たちへ、考えうる最高の感謝の言葉をおくる。それをおれが英語にしていく。感情的にならないように、頭を空っぽにして。自分でも驚くほど淡々とやれた。Sくんの友人だったのか疑問をもたれないかと不安になるほどに。


その後、遺体と対面した時、通訳はできなかった。ご両親の言葉はきこえるが、もう言葉がでてこない。通訳ではなく、良くしてくれていたSくんが大好きだった一人の友人に戻った瞬間…。



その話をきいて横にいた通訳の男はむせながら泣いていた。


感じたことのない空気のまま、執刀医や別の看護士があらわれ別室へ運ばれる。すぐに麻酔で眠らされた。

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昨日、ある人が足の手術を受けた(手術成功)。だからか、たまに思い出すこの出来事を書き留めたいとおもった。